絹糸楼閣4








案内された部屋は二階の一番奥の間だった。畳敷きの四畳半に行灯と衝立がひとつ。二人が転がってしまえばそれで一杯だ。 それでも宿があるとないとじゃ安全は雲泥の差。
「よく喋る奴だったなー。よっこらせ」
「おじさん臭いわよっと……ふぅ」
「緒姉もな」
「うるさい」
荷物を放って畳に寝転がる。すると懐かしい香りがした。
「あ、好い匂い……」
私は畳の渋い匂いが落ち着くのでとても好きだ。
そういえば母さまはいつも畳の好い匂いがしていた。畳が香る部屋にたくさん反物を広げて模様を教えてもらっていたんだっけ……懐かしいなぁ。 あの頃は確か布の端切れを集めていたんだ。色んな色と模様が集まるのが嬉しくてたまらなかった。そうだ、屋敷から端切れの箱を持って帰ろう……子桜紋はまだあったかしら。それで巾着袋でも作れればいい。
「緒姉……さ、」
しんとした部屋の中。突然呼ばれて我に返る。
「何?」
「…………」
衣擦れの音がして真火がこちらへ向くのが分かった。
「真火?」
髪が人房持ち上げられた。たぶんくるくると指に絡めているんだろう。
「緒姉はさ」
「っ…………」
音のない部屋に真火の低い声が私には妙に響いて届いた。
私の伸びた髪を弄る真火は何もしゃべらない。聞きたいようで聞きたくない。 その先を聞くのが恐ろしい気がする。
そのままどれ位時間が過ぎただろうか。南蛮には刻を刻む便利なものがあるらしいがこんなところに有りはしないので分からない。 とても長い時間に感じられたけど、たぶんほんの何秒かだったんだろう。
背中で大きく息を吸う音が聞こえた。私は思わず身構えてしまう。
「はーっ、緒姉は男前だよなー!俺は敵わねーよ」
特大のため息と共に吐かれた言葉は意外なものだった。緊張して損した。
「…………ふふっ、当たり前よ。なんたって緒様だもの。そこらの男に負けないわよ」
「はいはい。それは俺がよく分かってますよ」
「でしょうね。真火くんはお姉ちゃんの尻に敷かれてますもんね」
「うるせー」
とたん頭が後ろに引っ張られる。
「痛っ!やったわねっ」
どすっと音を立てる勢いで手刀を振り下ろす。
「危なっ」
「こら!待ちなさい真火!!」
「わ、ちょっ、何すんだって緒姉!あはっはは」
「あんたが腋弱いのは分かってるのよ。覚悟しなさい!」
「やめ、止めてくれっ!駄目だって、くそっ、あーっ!!」



頭が思考を停止して視線の先に何があるか認識もできない。
ただ、白のような紺のようなそれでいて朱のような空が私の呆けた瞳に写っていた。
「ここ……どこだっけ」
静まり返った室内に地響きに似た音が響く。
「お腹、へっ、たよー…………」
そうだ、私たち今宿屋にいるんだっけ。おかしな景色を眺めながら夕餉のことを考える。 ん、ちょっと待って。白?紺?朱色?えぇっ、これってもしかして……。
「朝……だなー」
「……だよね」
二人のうな垂れる声が重なった。
朝焼けの空が目に染みる。何てことなの! あれから取っ組み合いのくすぐり合いで激しく戦ったまま疲れて寝入ってしまったみたい。 朝餉の時間まではまだ何刻かありそうだ。 腹が減っては戦は出来ぬと昔の人は言ったものだけど、私たち育ち盛りはご飯なしじゃ普段の生活もできそうにないわ。
「緒姉、緒姉」
呼ばれたほうを振り向くとその手には重そうな風呂敷があった。
「真火、よく思い出した!お菓子もらったことすっかり忘れてたわ」
「何が入ってるんだ?おっ、笹餅か!美味そうだ」
風呂敷の中には美味しそうな笹餅が包まれていた。笹の葉と風呂敷にしっかり包まれていたから乾いて固くなっているということもなく美味しくいただけた。これで朝餉の時刻までは我慢できるだろう。
「やっと体力回復だぜ。食堂が開いたら飯食いに行こう。甘いもの食べたら塩気のあるもん食べたくなっちまった」
「そうだね。それまで時間があるし、布団敷いて寝よう?」
まだ押入れに入ったままだった布団を出して潜り込む。体がようやく安らげる場所を得ることができて直ぐにまどろみがやってきた。
「お休み……」
真火が私に呼びかける声が、まだ私たちが幼かったときの幸せな記憶を蘇らせた。
「うん、お休み……」
何だか左手が温かい。これは夢か現か分からないけどとても幸せな気持ちで完全に意識を手放した。